キューホームを建てている
職人さんをご紹介します。
WB工法で数々の認定証・表彰をいただいております。
地域のみなさんに、毎日の暮らしが楽しくなるような、ちょっとした情報交流ができれば、と考え毎月手作りで「Qちゃん新聞」を発行しています。
キューホーム

私は、貧しい家庭に育ちました。

それは、どうしてかと言いいますと、父親が病弱だった為です。
しかし、それでも父と母は私達兄弟3人を一生懸命育ててくれました。
しかも、浦の内という田舎に住んでいましたのですが、
当時は父にもきちんとした仕事があまりありませんでした。
それに、父は胃潰瘍で、毎日、毎日薬を飲みながらやっとの思いで、
仕事をしていた事を今でも覚えています。

ですから、学校から帰れば親の仕事をよく手伝わされたのものです。
だから、友達と遊ぶ時間もあまりありませんでした。、友達はみんな田んぼで野球をしたりしているのにと、
うらやましくも思った事でしたが、しかし親の仕事を手伝う事に対して、
あまり当時は苦痛ではありませんでした。
だからそのような父の健康状態ですので、経済的にも非常に苦しい少年時代を過ごしました。 
それに父と母はいつも夫婦げんかが絶えなかった。
あるまっ暗い夜、父に叱られて家の外でしばらく泣いていたことがあり、
すると母が私のそばに来て手を取り、
「家の近くの海に飛び込んで一緒に死のう」
母に言われ手を引っ張られ連れて行かれた事もありました。 
多分6〜7才の頃だと思います。
その時の光景は、今でも私の脳裏に焼き付いて離れません。
こんな子供の頃の事を思い出していると、今でも涙が出そうになってしまいます。

しかし、私にとってはそんな事があっても非常に大切な両親です。
どんな事があろうが、家族は家族ですものね。

そんな状況ですので、勿論、高校にも行かせてもらう事が出来ませんでした。
小さい頃から高知市内で工務店をしていた叔父、叔母に可愛がられていた私は、
中学校を卒業すると、その叔父の家に養子にもらわれて行くような形で大工の弟子入りをしたのです。
両親の元を離れて行く私に、近所の人達は
「求ちゃん立派な建築士になって両親をみちゃりよ」

励まされた事を今でも忘れた事はありません。

「一級建築士になって社長になるんだ」

そして大工の弟子となり、
その日から、叔父、叔母ではなく師匠と奥さんと呼ぶようになり、
当たり前のように自分の道は、大工しかないとしぜんに叩き込まれ、
そのために必要な事をプログラミングされていきました。
                 
そのうち、体を動かすことの楽しさ、又、物を造る事の喜び、
多くの人と接触し又、協力する事の大切さを教えられ、厳しく、指導されていきました。  
だから決して叔母夫婦に甘える事もとうてい出来ませんでした。
何故かというと、そのころは同級生は学校に行ったり、友達と遊んだりしているのに、
俺はこんな苦労、辛い事ばかり、親が貧乏だからと親を恨んだ事もありました。

本当に手はいつも傷もつれ、服はボロボロ、それに冬、外での仕事の寒いこと。
なんども、なんども仕事が嫌になり、本当にこの仕事から逃げ出したいと思いました。
しかし、そんな状況のなか、しぜんと建築という素晴らしい仕事を
潜在意識にインプットされていったのです。

そして、高知工業(定時制)建築科を卒業しました。
大工の修行も何回もの挫折を乗り換え、25才にて独立する事が出来、
35才の時遂に、高知市内に念願の我が家を建てることが出来たのです。

一緒に暮らそうと両親を呼びましたが、
やはり「田舎で暮らしたい」との事で同居する事は叶いませんでした。

私が大工の道に進んだのはこの様な少年時代があったからです。
そして今は、小さいながらも工務店の社長になることが出来ましたが、
その間、色んなたくさんの人に支えられ助けて頂きました。 
本当に可愛がって頂いた方々には大感謝の気持ちは忘れた事はありません。
本当に自分の人生は苦しい時代もあったけど
そんな時には、いつも誰かが助けてくれました。
(少し涙が・・・) 
 
だから自分としては運が強いと思っています。 
今ではその修業した日々が懐かしく思います。

そして建築の道に進んで もう40年の年月が経ちました。
学歴もない叩き上げの大工ですが、この建築という仕事が好きでなりません。
それは、どうしてかと言いますと、

お客様の喜ぶ顔を見ることが出来るからです。
お客様と一緒に手を取り合って笑うことが出来るからです。
お客様とご家族と親戚のおつき合いが出来るからです。

私は、見学会を通して、ご来場頂いた方や、色んなお客様と接して来ました。

ある日会場で「社長、私達家が欲しいんです。安い家でいいから家を建ててください」
ある若いご夫婦から相談を受けましたが。 
だけど私には、当時どうすることも出来なかったのです。

「なんでなんだ」
「どうして、なんだ」


誰でもが手が届く金額で、土地付きの家がもてないのかということが最大の疑問でした。

母親と子供の収入だけで造れる家は出来ないのか?・・・
真面目に子育てしてるのになぜ家を持てないのか?・・・
所得の低い人はどんなに頑張っても無理なのか?・・・
家族の健康を考慮した家づくりをどうして出来ないのか?


高知の地価はなぜ高いんだ。 このまま建築に携わる者としてこれでいいのかとの思いから。 
私はそのような全ての方に、ほんとに返済が楽で、
生活にも負担がかからなく、地震にも強い丈夫な住宅を作ることが出来たらと思いから
県外のあらゆるセミナ−に出かけ、多くの県外の同業の社長さんから情報を聞き、
又ご指導を頂き、知識を得ることが出来ました。

その結果タイプの違う、
 ぽっきりハウス 「バリュ−タイプの家」
 こみこみハウス 「プレミアムタイプ1」
をご提案する事が出来るようになりました。

 

本当に家が必要な時は子育て世代の方だと思います。 
又、子供のことを考えて本当に良い環境で我が子を育てたいと。
親なら誰でも同じ気持ちと思います。

皆様も多分同じようなお考えをお持ちと思います 。
私は、子育ては終わりましたが 私も、自分の幼少時代の生活を思い、
二人の娘には親として出来るだけの事してあげたいと思い今まで頑張ることができました。 

出費多難な子育て世代でも、安心して生活できる安くて強い家づくりは、
正しい知識を身に付けて努力すれば出来るのです。

私が体験した様に、親からの援助もなく、妻と二人で一生懸命働いても、
なかなか成長するに従い出費が多なり資金的にも余裕がないと思います。
それに、家を建てたからといって、
たまの休みの家族旅行や、外食も我慢しないといけない様では、
何の為に家を建てたのかわかりません。

そして、一番大事な事は家族が健康で笑って暮らせる事です。
私は子育て世代の方々が「安心して住める家」「健康を守れる家」
そして「余裕のある生活のできる家」を造る事が、私とお客様との約束です。
あなたが家を建てると決断されたら一度ご相談してみてください。

私は、お客様に無駄な費用を出さすことなく、
お客様が心から満足でき、そのご家族が健康で幸せに暮らせる
家づくりをする事を使命と思いその努力をします。


私共は、お客様の立場に共感し、お客様を感動させます。
お客様を尊敬し、お客様から尊敬される仕事をする事を
使命と感じその努力をします。


有限会社 城西工務店
代表取締役