キューちゃん日記は「Qちゃん新聞」に掲載されているコラムをズームアップしてお届けします。普段の出来事から家についての専門的な知識を、分かりやすく書いていきます。

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VOL33
「なぜ私は、このような家づくりをしているのか?」
 私は、貧しい家庭に育ちました。
それはどうしてかと言いますと、父親が病弱だったからです。しかし、父と母は私達兄弟3人を一生懸命育ててくれました。しかも、田舎に住んでいましたので、当時はきちんとした仕事があまりありませんでした。

毎日毎日、胃潰瘍で父は薬を飲みながら仕事をしていたことを今でも覚えています。親の仕事をよく手伝わされたものです。

だから私も学校から帰っても友達と遊ぶ時間もあまりなくて、友達はみんな田んぼで野球をしたりしているのにと、うらやましくも思ったことでしたが、しかし親の仕事をよく手伝うことに対して、あまり当時は苦痛ではありませんでした。

だからそのような父の健康状態ですので経済的にも苦しくてだと今は思うのですが、父と母はいつも夫婦喧嘩が絶えなかった。
子供心に、ある夜父に叱られて家の外でしばらく泣いていたことがあり、すると母が私のそばに来て手をとり、「家の近くの海に飛び込んで一緒に死のう」と言われたことがありました。
多分6,7歳の頃だと思います。そのときの光景は今でも私の脳裏に焼きついて離れません。
こんな昔の事を思い出していると、今でも涙が出そうになります。
しかし、私にとっては非常に大切な両親です。どんなことがあろうが、家族は家族ですものね。
そんな状況ですので勿論高校にも行かせてもらえず、中学を卒業すると、おじさんが工務店を高知で経営していましたので弟子に入り、両親の為に「立派な大工になって家を建ててやろう」と思い大工の修行にはいったのです。
そして高知工業夜間部の建築課を出て、35歳のときに遂に高知に念願の我が家を建てることが出来ました。
一緒に暮らそうと両親を呼びましたが、やはり「田舎で暮らしたい」とのことで同居する願いは叶いませんでしたが、その父も一生病気と闘いながら、平成9年生涯を閉じました。
 私が大工の道に進んだのは、この様な少年時代があったからです。

信じられないそんな値段の土地が本当にあるのか?

 そして、建築の道に進んでもう40年の年月が経ちました。
結婚して二人の子供を儲け幸せに暮らしていましたが、ふと一体俺はなにをしているんだろう。このまま建築に携わるものとしてこれでいいのか?

 私は見学会を通してご来場いただいた方や、いろんなお客様と接してきました。
「社長、私達家が欲しいんです。安い家でいいから建ててください。」
この様な相談をたくさん受けてきました。
だけど当時、どうすることもできませんでした。
「なんでなんだ!」どうして誰でも手が届く金額で、土地付の家が持てないのか?ということが最大の疑問でした。
 母親と子供の収入だけで造れる家はないのか?・・・・・子育て真っ最中の人は家をもてないのか?・・・・・所得の低い人はどんなに頑張っても無理なのか?・・・・・
「高知の地価はなぜ高いんだ!」私はそのような方にほんとうに返済が楽で、生活にも負担がかからず、地震にも強い丈夫な住宅を作ることができたらと思い頑張ってきました。
 そして、5年前からその方達の夢を絶対に叶えてあげたいと思い、取り組んできた家作りが、今やっとココに実現しました。

いまここに皆さんに胸を張ってお知らせすることができます。
驚異の価格です
はりまや橋まで車で約10分の市内で、おまけに坪単価が11万円から19万円でお譲りすることにしました。

 本当に家が必要なのは、子育て世代の方だと思います。又、子供のことを考えて、本当によい環境で和が子を育てたい。親なら誰でも同じだと思います。
 貴方様も多分同じような気持ちをお持ちと思います。
私も幼少時代を思い、二人の娘には親としてできるだけのことをしてあげたいと思い、今まで頑張ってきました。
 私が体験したように、親からの援助もなく、妻と二人で一生懸命働いても、なかなか子育てをされている時には出費が多く、資金的にも余裕がないと思います。楽しいはずの家庭と生活、又、お互いの趣味まで犠牲にし、高額な家を買う事により、全てを犠牲にするようなことは決してしてほしくありません。たまの家族旅行や外食、お父さんの晩酌まで我慢しないといけないようでは、何のために家を建てたのか分からないですよね。
 それに、一番大事なことを忘れていました。家づくりで大事なことです。
家を建てた後、家族が健康で明るく楽しい生活が送れることが、本当に家づくりに成功したといえるでしょう。

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